わたしのキャリア×意思決定論:大学時代編

今回は、自身のキャリアを振り返りつつ、意思決定論を交えて語ろうかと思います。

現在(2023年3月時点)、私は卒後5年目、来月からは卒後6年目の医師となります。

まず、最初は大学時代について語っていこうと思います。

Team-Based Learning(TBL)の勉強会に友達の誘いで行った後、臨床推論にハマり、

「研修医になったらDr. G(NHKの人気番組、2018年に終了)に出演する‼」という目標の下、没頭していました(笑)(勉強会運営するまでに)

また、自身の出身大学は途中で編入生の同級生が十数人入ってくる環境で、再受験生の同級生も多く、思い返せば刺激的な環境だったと思います。その中で、笑顔が素敵にバリバリ海外でボランティアされていたお姉さんに憧れていました。

大学3年の時に「国際会議に行こうよ!」と誘われ、所属していたバスケ部を休ませてもらって、1か月のラジオ英会話の学習だけで国際会議(in インドネシア)の環境に飛び込みました(笑)

英語のSpeakingの練習を十分にしないで行ったから、もちろんズタボロ…。

英語は話せないからと黙っていたら同室者の中国人女子に喝を入れられ、英語を失敗しても話す心構えを得ました。なんとか他の友達と片言英語とジェスチャーで仲良くなって涙を流し、お別れができました。

いい思い出だったけど、英語が話せなかったということがかなり悔しくなって、それ以降毎日平日はラジオ英会話でシャドーイングをし、大学4年生でドイツに1か月の留学、国際会議での発表(台湾)、大学6年生でスペインに1か月半留学することにつながりました。海外でのいい経験は、頼れるのは自分1人という状態になることでした。

それまでの海外は家族旅行のみでしたが、国際会議や留学をするで1人で責任を持って行動をする、非日常での体験をする、トラブルを乗り越える、という貴重な経験ができたと感じました。

上記の例を挙げると、スペイン語は自己紹介と挨拶のみしか覚えていない中、病院のカンファレンスでのスペイン語のシャワーを浴び、くじける。ただ、聞けるようになるのではないかと数字や医学単語や基本的なスペイン語の文法を少しずつ学習して、最終週にはスペイン語での診察内容が分かるようになっていました(現在はおそらく理解できていません)。

他にもスペイン国内旅行で1人旅に飛行機に乗って行ったら、予定便が欠航となり、振替の目途が分からず、夜中の3時まで振替のバスがくるまで周囲の人にたこ足コンセントを貸してもらい、携帯を充電しながら、空港で夜をあかしたこともありました。スペイン語のアナウンスが分からず、周囲の人に聞いてからやっと状況がわかってヒヤッとしたのもいい思い出です。

色々できることが楽しく、学生時代には上記を含めて色々活動をしていました。

例えば、保育園に、子供に食育や病院の機能を教えに行く「ぬいぐるみ病院」という活動もしていました。

その影響で、小児科を志していました。

そして、医学部を卒業した後、初期研修の期間、働く病院を探す就職活動もしていました。

その病院を選ぶ指標として事前にいくつかチェックリスト(同期の人数、救急診療体制、福利厚生、給料など)を作成し、それを比較し、選択の一助になると考えていました。

ところが結局チェックリストは参照にせず、2学年上の先輩の姿(初期研修終わった後の理想の姿)とメンターとなる先生に心打たれ、直感で沖縄県立中部病院を選択することにつながりました。初期研修は、医師の土台となる部分だからしっかりと研修したいという思いもあったことも選択を決める一つの軸になりました。

ここで意思決定論の内容に入っていきたいと思います。(*授業中のスライド(NUCB 北原先生)も一部参考に使用させていただいてます。)

意思決定のプロセスには上記のフレーミング、選択肢の設計、評価指標の予想、選択があります。

まず、問題定義ですが、問題は、理想の状態と現実にギャップが生じている状態です。

そのギャップを埋めるべく、様々な選択肢を設計(調査、創造)していきます。

また選択肢を吟味するために色々な評価軸を挙げていき、それらの軸で選択肢を比較・評価をし、選択していきます。

ただ、選択肢をすべて色々な評価軸で評価して吟味するのはかなり時間がかかるので現実的ではありません。

なので、実際は限定合理的な意思決定を行っていきます。方法としてはルーチン化、満足化基準、経験則とありますが、それですべての選択を行っていると、意思決定のバイアスに影響されます。

例えば、診断の段階で以前同じような経過の患者さんを診たからこの方も同じに違いない!と考える(アンカリング)と他の選択肢がみえずに大きな病気を見逃す、患者さんが多くを訴えていることで陰性感情を持ってしまい、過小評価をしてしまうなどアクシデントにつながってしまうリスクなどが挙げられます。

理論が長くなりましたが、キャリアを振り返ると、

学生私自身は理想の状態:臨床推論ができて将来ドクターGに出演できる、英語が話せて議論できる。

に向かって、行動していました。具体的には臨床推論や英語の勉強をすることで理想の状態に近づくように没頭していました。

理想の状態となるロールモデルとなる人が周りにいた影響を受けていたと思います。

初期研修先の選択でも理想の状態が目に見える環境に身に置くことを選択したように思います。

直観的に理想の状態に近づき、現状とのギャップを埋めていくような行動パターンで動いていたのではないかと考えています。

学生時代に多くのメンター・ロールモデルになる方たちに出会ったことは現在でも財産だと思っています。

学生時代の意思決定は理想となる状態を追いかけること(それができた環境もあったこと)でいい意味であまり迷いがなかったように思えます。

以降、どんどん迷いが生まれてきているのですが、それは徐々に後日書いていこうかと思います。

今回は長くなりましたが、ここまでです。次回は初期研修期間~専門選択までについての意思決定論を用いて振り返りをしていきたいと思います。

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